「脱亜論」
2009-09-08 更新
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- 1 このテキストについて
- 1.1 誰が「脱亜論」を書いたのか?
- 2 本文
- 2.1 第一段落
- 2.2 第二段落
- 2.3 註
- 3 サイト内の関連ページ
- 4 リンク
- 4.1 他のウェブサイトの関連エントリー
- 4.2 東瀛小評
1 このテキストについて♬
『福澤諭吉全集 第10巻』(岩波書店、1960年)所収の論説、「脱亜論」(238頁から240頁)を公開しています。
- 「脱亜論」の概要については、平山洋「福沢諭吉の西洋理解と『脱亜論』」の2.「脱亜論」とは何かをご覧下さい。
- 「脱亜論」をいかに評価するかにつき、小島氏が 2007-04-12 付で、エントリ-「東亜共栄圏の新実学を」(SFC 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス – おかしら日記)で、ご自身の意見を述べています。
- また同じ問題について、朝日新聞が 2007-08-01 付で、企画記事「歴史は生きている:〈記憶をつくるもの〉独り歩きする「脱亜論」」(吉沢龍彦)を掲載しました。この記事は、Where Sweetness and Light Failed – 脱亜論にて紹介されています。
- 原文は2段落構成(
我日本の国土は…
から2段落)となっていますが、さらに分割しました。 - テキストの表記については、諸論説についてをご覧下さい。
1.1 誰が「脱亜論」を書いたのか?♬
井田進也『歴史とテクスト―西鶴から諭吉まで』(光芒社、 2001年)を参考にして、同書の記述を元に(試しに)註記を入れてみました。
井田氏は、石河と福沢両人の文章の特徴を元に「脱亜論」の分析をしましたが(「テクストの認定」。33 – 34頁。)、「脱亜論」発表時(明治18年03月)には、まだ石河は入社していないことを考慮し、「脱亜論」の起稿者として考えられるのは、高橋、渡辺、福沢の誰かであると考えを修正しました(104頁)。その後の精査により、新たな「テクスト認定」では、以下のような結論が導かれたとのことです。
「脱亜論」の自筆原稿が発見されぬかぎり高橋が起稿した可能性を排除できないから、…福沢が高橋の原稿を真っ黒に塗抹したものとして、ほとんどA(サイト管理者註:「福沢文」と認定しうる)としておこう。 – (104頁)
その結果、「テクスト認定」の一覧表(105頁)では、「脱亜論」の推定起稿者を、「高橋?」としています。 「脱亜論」と「朝鮮滅亡論」を書いたのは誰かも、ご覧下さい。
認定の一基準として注目された語句(と推測されるのもの)には、(*1)のような註記をしました。註記の頁数は、同書初版のものです。
2 本文♬
2.1 第一段落♬
世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸(ぜん)し、到る(*1)処、草も木も此(この)風に靡(なび)かざるはなし。蓋し西洋の人物、古今に大に異(ことな)るに非ずと雖ども(*2)、其(その)挙動の古(いにしえ)に遅鈍にして今に活発なるは、唯交通の利器を利用して勢(いきおい)に乗ずるが故のみ。故に方今(ほうこん)東洋に国するもの(*12)の為に謀るに、此(この)文明東漸の勢に激して之を防ぎ了(おわ)る(*13)べきの覚悟あれば則(すなわ)ち可なりと雖ども(*2)、苟(いやしく)も世界中の現状を視察して事実に不可なるを知らん者は、世と推し移りて共に(*3)文明の海に浮沈し、共に(*3)文明の波を揚げて(*13)共に(*3)文明の苦楽を与(とも)に(*3)するの外あるべからざるなり。
文明は猶(なお)(*11)麻疹(はしか)の流行の如し。 目下(もっか)東京の麻疹(はしか)は西国長崎の地方より東漸して、春暖と共に(*3)次第に蔓延する者の如し。 此(この)時に当り此(この)流行病の害を悪(にくみ)て之を防がんとするも、果して其(その)手段あるべきや。我輩断じて其(その)術なきを証す。有害一偏の流行病にても、尚(なお)且(かつ)其(その)勢(いきおい)には激すべからず。 況(いわん)や利害相(あい)伴(ともな)うて常に利益多き文明に於(おい)てをや。 啻(ただ)に之を防がざるのみならず、力(つと)めて(*13)其(その)蔓延を助け、国民をして早く(*4)其(その)気風に浴せしむるは智者の事なるべし。
西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開国を発端として、国民漸(ようや)く其(その)採るべきを知り、漸次に活発の気風を催うしたれども、進歩の道に横わる(*13)に古風老大の政府なるものありて、これを如何ともすべからず。政府を保存せん歟、文明は決して入るべからず。如何となれば近時の文明は日本の旧套(きゅうとう)と両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府も亦(また)廃滅すべければなり。 然(しから)ば則(すなわ)ち文明を防(ふせぎ)て其(その)侵入を止めん歟、日本国は独立すべからず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の独睡を許さざればなり。
是(ここ)に於てか我日本の士人は国を重しとし政府を軽しとするの大義に基き、また幸(さいわい)に帝室の神聖尊厳に依頼して、断じて旧政府を倒して新政府を立て、国中朝野の別なく一切万事西洋近時の文明を採り、独り日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新(あらた)に一機軸を出し、主義とする所は唯(ただ)脱亜の二字に在るのみ。
2.2 第二段落♬
我日本の国土は亜細亜の東辺に在りと雖ども(*2)、其(その)国民の精神は既に(*5)亜細亜の固陋(ころう)を脱して西洋の文明に移りたり。 然(しか)るに爰(ここ)に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。 此(この)二国の人民も古来、亜細亜流の政教風俗に養わるること、我日本国民に異ならずと雖ども(*2)、其(その)人種の由来を殊(こと)にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺伝教育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三国相(あい)対(たい)し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、此(この)二国の者共は一身に就(つ)き又一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども、耳目の聞見は以(もっ)て心を動かすに足らずして、其(その)古風旧慣に恋々(れんれん)するの情は百千年の古(いにしえ)に異ならず、此(この)文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至る(*1)まで外見の虚飾のみを事として、其(その)実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻(ざんこく)不廉恥(ふれんち)を極め、尚(なお)傲然(ごうぜん)として自省の念なき者の如し。
我輩を以(もっ)て此(この)二国を視(み)れば、今の文明東漸の風潮に際し、迚(とて)も其(その)独立を維持するの道あるべからず。幸にして其(その)国中に志士の出現して、先(ま)ず国事開進の手始めとして、大に其(その)政府を改革すること我維新の如き大挙を企て、先ず政治を改めて共に(*3)人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若(も)しも然(しか)らざるに於ては、今より数年を出でずして亡国と為り、其(その)国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑あることなし。如何となれば麻疹(はしか)に等しき文明開化の流行に遭(あ)いながら、支韓両国は其(その)伝染の天然に背き、無理に之(これ)を避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒塞するものなればなり。 輔車(ほしゃ)唇歯(しんし)とは隣国相(あい)助くるの喩(たとえ)(*6)なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫(いちごう)の援助と為らざるのみならず、西洋文明人の眼を以(もっ)てすれば、三国の地利相(あい)接するが為に、時に或はこれを同一視し、支韓を評するの価を以(もっ)て我日本に命ずるの意味なきに非ず。
例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃(たの)むべきものあらざれば、西洋の人は日本も亦(また)無法律の国かと疑い、支那、朝鮮の士人が惑溺(わくでき)深くして科学の何ものたるを知らざれば、西洋の学者は日本も亦(また)陰陽五行の国かと思い、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩(おお)われ、朝鮮国に人を刑するの惨酷(さんこく)なるあれば、日本人も亦共に(*3)無情なるかと推量せらるるが如き、是(これ)等(ら)の事例を計(かぞう)れば枚挙に遑(いとま)(*7)あらず。之を喩(たと)え(*6)ば此(この)隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然(し)かも(*10)残忍無情なるときは、稀に其(その)町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜に掩(おお)(*8)われて堙没(いんぼつ)するものに異ならず。 其(その)影響の事実に現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云うべし。
左(さ)れば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て共に(*3)亜細亜を興(おこ)すの猶予あるべからず、寧(むし)ろ、其(その)伍を脱して西洋の文明国と進退を共に(*3)し、其(その)支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正(まさ)に(*9)西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は共に(*3)悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
2.3 註♬
註
該当箇所
福澤
高橋
その他註記
註1
73頁、90頁註4
「至る」
「到る」
註2
80頁、92頁註27
「雖ども」
「いへども」
註3
78頁、91頁註20
「共(與、新字体は与)に」
「倶に」
註4
77頁、91頁註17
「早く」
「疾く」
註5
74頁、90頁註5
「既に」
「已に」
註6
100頁、107頁註9
「喩」
渡辺は、「喩」の俗字
註7
74頁、90頁註6
「遑」
「遑(暇)」
渡辺は、「遑ま」
註8
76頁、91頁註15
「掩(覆)」
「蔽」
註9
73頁、90頁註4
「正に」
「正しく」
註10
87頁、92頁註42
「然も」
「然かも」
註11
101頁、107頁註12
「猶」
「猶ほ」
註12
104頁 福沢的ではない
表現
註13
104頁
ごく稀に使用される表現。「喩の俗字」も含む
3 サイト内の関連ページ♬
- 古井戸氏と平山氏の質疑応答から
- 東谷暁インタビュー: 平山洋 福沢諭吉「脱亜論」の真実
- 「朝鮮よ、滅亡せよ」と福沢諭吉は言ったのか?
- なぜ『修業立志編』は『福澤全集』に収録されていないのか?
- 福澤諭吉の西洋理解と「脱亜論」
4 リンク♬
以下は、「脱亜論」に限ったリンク集のみです。その他のリンクについては、『福沢諭吉の真実』についてに掲載しています。
4.1 他のウェブサイトの関連エントリー♬
- 「ぽんぽこ」のクール・トレーディング:『福沢諭吉の真実』(平山洋)
- コメント欄で、平山氏は、「脱亜論」で使用されている
処分
という語には、「処罰」の意味は含まれていない旨を指摘しています。明治のことば辞典の、「処分」の項目も参考のこと。 - 同じく、コメント欄にて平山氏は、
「遺伝教育」とは「代々伝わる儒教教育」の意味にすぎず、この言葉に福沢の民族偏見を見出そうとするのは、いくらなんでも言いがかりというものです。
とも指摘しています。











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